羅漢拳外伝、くりくり坊主
 いつの世でも身体の健康を保つことが貧富の違いもなく人間にとっての最大の関心事かも知れない。いつまでも健康な肉体と老いることのない体力を持てたらと人は夢を持つ。
その行き着く先は不老不死ということになるだろう。だから天下を統一した秦の始皇帝は詐欺師に騙されて黄金、玉を貢いだ。詐欺師の方は不老不死の妙薬を探しにいくといって海を隔てた東の島国にとんずらした。詐欺師の行き着いた先は顔に入れ墨をいれて相手を威嚇しよう、もしくは病気にかからないようにしようという迷信に凝り固まったとんだ未開の地。
始皇帝のほうは一国の富を全て握って巨大な宮殿や巨大な墓をおったてて剣ややりで民衆を脅かして国民が隠し持った金は全て自分の宝蔵にかき集められるだろうから、ちゃちな詐欺師に騙されて宝の一部を盗まれたくらいでは屁とも思わないだろうが、絶対的な権力を自分一人で握っていた絶対君主でもやはり長生きをしたい、不死の命を願うのは一介の市井人と変わらないとみえる。

呪術、まじないから出発して神や呪いを卒業した人間は体系的実践的現実

的な人間の身体に関する処方を確立し始めた。そ

れが医術である。しかし医術の進歩のかげには華岡青州や解体新書を著した前野良沢、緒方洪庵の例をださないまでもいろいろなドラマがあったことだろう。

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「お姉さん、シュサが通るわよ。」
「どれどれ、ちょっと頭を下げてよ。」
姉らしい女性は妹らしい女性の頭の上から外の景色を見下ろした。外にはこの邑一番の美しいまだ十七になったばかりの若者シュサが木製の鍬をかついで通り過ぎた。その姿を見た二人は胸をときめかせた。二人が若者を見下ろしたと書いたのは二人が校倉造りの地上より三メートルも高い位置から下の様子を見下ろしていたからである。この二人は姉妹と言っても姿かたちはうり二つの双子だった。この校倉造りの建物は杉を製材して造られた神殿であり、この二人の姉妹が降霊をおこなう御子ということになる。しかし二人はまだ十六才のうら若い乙女だった。ここは王宮であり、この国の中心だった。この王宮を含めた政治的経済的な共同体は国と呼ばれ、国はさらに細分化された邑より成り立っていた。この宮殿はこの校倉造りの神殿を中心にして三百メートルの円形の敷地のなかに二十数個の家屋がある。神殿は杉を黒曜石を砕いて作った石器で製材して作ったものだったが他の住まいはすり鉢を伏せた形をしており、その屋根は太い竹を骨組みにして骨組みの間には茅を詰めている。藁葺き屋根だった。その家屋の形は屋根の部分しかない蓑虫の住んでいるテントのようなものに見える。そして家のなかには土間に直接囲炉裏が切ってある。それらの家屋が二十数個、この区画内に集まっている。それはこの宮殿を守る兵士の住居となっている。それより小規模な邑がこの地方に十数個ある。そこでは畑や田圃があって農作物の生産がなされている。これらの邑々は政治的経済的に連結していてその邑同士の共同体は国と呼ばれその中心はこの宮殿であり、そして全ての中心はこの神殿であり、そこに住むこの双子の女王を中心にしていた。政治的にはこの二人の娘がシャーマンとして神の託宣をこの国の住民に伝えるのである。それはしばしばこの国の天変を言い当てた。そしてこの姉妹の下に軍事経済的実務をあつかう長がいる。しかし女にしか降霊現象がおきないのか、この姉妹の前はこの神殿には一人の女王が住んで託宣を住民に与えていた。その女王も二代前に死んだ。この二人はこの女王の近い親戚に当たっている。前の女王と同様にこの二人はこの国に神懸かりの託宣を与えていた。したがってこの二人は女の子であると同時に神なのであった。二人とも邑人と接することは禁じられている。身が汚れて神力が失せるからだ。しかし乙女ともなると異性に関心をもちはじめるのは当然でこの二人はこの国一番の美しい若者であるシュサにこころ惹かれている。そのためにその若者が眼下を通り過ぎたのでこころときめかせた。姉のほうの名前はウナ姫、妹のほうの名前はウサ姫と言った。二人の違っているところと言えば外見的にはほとんどない。しかし性格は微妙に違っている。そしてもう一つの違いと言えば姉のほうが鹿を飼っているところだろうか。
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あんた今年は鮭の大漁で良かったね。」
「ああ、こんなことはそうたびたびあるもんじゃなかっぺ」
藁葺き屋根のたて穴住居の中で囲炉裏の炎に今とってきたばかりの鮭を炙りながらこの夫婦が満面に笑みを浮かべた。鮭の焼ける油が囲炉裏の中に落ちてじゅうっと音を立てた。
「これも皆、ウナ姫様、ウサ姫様のお陰じゃ。あのお二人をとおして語られる神様のお告げを聞いておけば間違いないんじゃ。ほらこうやって鮭も大量なんじゃ。」
畑で栽培される作物の種を蒔く時、刈り入れるとき、この国のものはみなウナ姫、ウサ姫の託宣にしたがって行動していた。それでいつも豊作が続いていた。そのうえ今年はとくに入り江のそばにある火山の小規模な噴火まで言い当ててそれに備えて大きな土木工事までしたので海の入り江にうまい具合に溶岩が流れ込んで海流の動きが一部切り取られて魚が入り江の中を回流するようになり、海辺近くで魚が多くとれるようになっていた。この国のものみんなが大きな石を数え切れないくらいたくさん入り江に運ぶ大変な事業だったが邑人はその恩恵をあり有り余るほど預かったので二人の女王の託宣をありがたがった。この二人がたき火に当たりながら焼けたばかりの鮭を食らっていると自然発酵させた山葡萄の酒をしこたま食らって顔を真っ赤にさせた髭面の身なりに全く頓着しない男が顔をだした。その足下はこの男の精神状態のようにふらついている。
「随分うまいものを喰っていやがるな。」
「おう、オロか。お前もこっちに入って鮭でも喰えや。なんだそんなに酔っぱらって。お前、また酒を飲んでいるのか。」
「ふん、余計な説教は真っ平ご免だ。入り口のところで聞いていたが、なんだウナ姫、ウサ姫様のほめ言葉ばっかり、あの二人が神様の代わりにおらたちに語りかけるというならなんで俺の息子を病で殺してしまったんじゃ。神様ならおらの息子の病気を直してくれてもいいじゃねぇか。」
そう言いながら男は臭いげっぷをはいた。
「またお前なにを罰当たりなことを言ってるんじゃ。そんなことよりこっちへ来て火に当たれ、喰いもんもあるでよ。」
男はたて穴式住居の入り口のところにもたれかかってうつろな目で二人を見た。
「そんなもの喰ったって俺の気が晴れるもんか。」
「お前の気持ちもわからんでねぇ。そんだったら龍神の山へ行くか。」
少し醒めた調子で酔っぱらった男を上目遣いで見た。
そう言われると酔っぱらっていた男は急に黙ってしまった。二人の姫の自然災害に関する託宣ははずれることがなかった。そしてこの国に大きな利益を与えた。この点で民衆はこの二人の女王を神としてあがめた。しかしこの二人も邑人の病気やけがに関しては何もなすすべがなかった。ただ慣例として黄泉の国での復活を願って死者を大きな甕棺に入れて埋葬することしかできなかった。そうすれば死者は黄泉の国に行く事ができて亡霊となってこの国をさまよう事がなくなると考えられていたからだ。黄泉の国へ無事旅立たせるほか死者が現世に復活する方法はないという事をこの時代の人間たちも知っていた。しかしこの夫婦が龍神の山と言ったのは理由があった。と同時に龍神の山と聞いて男が怖れて口をつぐんだ事にも意味があった。この国には龍神の山と呼ばれる七日がかりで行き着く深山幽谷があり、そこにいくまでにいくつもの難関があり、怪物に出会い、その怪物につかまると死ぬ事もできず生きたまま怪物に食われ続けるという恐ろしい言い伝えがあった。しかしそこを越えていくと唐土からやって来た仙人が住んでいてどんな病気も直し、死者さえも生き返らすという伝説があった。それはもちろん伝説であり確かめようがなかったがみんながなかばその伝説を信じていた。しかし多くの怪物の噂によってそこへ行こうとする者はいなかった。それよりももっと現実的な問題として他の小国との境界が入り組んでいて他の国の兵士に見つかると奴隷にされる懼れがあった。またこの国自身にも不安定要因はあった。この国は三代前のこの国の建国者である王の名前をとってオロ国と呼ばれていたが二人の王または女王が支配した時代はなかった。民は口にこそださなかったが内心では二人の女王を別々なものと考えてどちらかを支持していた。また不吉な噂をながすものもいてそれは何の根拠もない迷信だったが二人の女王がいることはこの国に不吉な災厄をもたらすと唐土からの最新の知識を我田引水に解釈して民に不安な空気を流すものもいた。そして現実問題としてこの不安要因を拡大する事件も最近起こった。この国の実務はウナ姫、ウサ姫の下についている大臣のオトという男が取り仕切っていた。前の王が死んだときそのおいのアマという男が後をつぐと目されていたが結局ウナ姫とウサ姫がこの国を治める事になったのだ。前の前の女王の遠い親戚にオトは当たっていたが本来はあまり高い家柄の人間ではなかった。それに比べるとアマは前の前の女王とも前の国王とも血のつながりは深かった。この国には王族の墓と呼ばれる特殊な場所があってその場所の周囲は美しく磨き上げられた御影石で囲まれていて王族に非常に近い人物しか葬られない事になっていた。しかしオトの母親が死んだとき慣例にあがなってオトの母親の死体をそこに埋葬したのである。そこでオトを擁護するもの、オトに反対するものの二派が対立した。反対している派の背後にはアマがいるといわれていた。ある日その墓があばかれ死者が生き返ったという噂が立った。その生き返った死者は亡霊として家畜を一匹、のどをさいて殺し、たて穴式住居の一つが放火され、そのとき誰かが逃げ出して行った。後を追って行った村人はその人物が、生き返ったオトの母親だと信じていたのだが海岸まで追いつめ海岸の断崖から飛び降りてそこで不審な人物は死亡した。顔を確認すると流れ者のように生きているサカという男だった。サカについてはいろいろな事が言われそのに前の日に酒をたらふく飲んで酔いつぶれていたとか、とても食べられないようなおいしいごちそうを食べたと自慢していたとか、いろいろな噂が立ったが真相は分からず仕舞いだった。
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 「あっ、あれは誰だ。誰か人がいるよ。」
海辺に海草とりに来ていた漁師の息子ヒノトが叫んだ。遙かに見渡すことのできる青い空、その下にはやはり青い海が波を浜辺に返している。その浜辺の砂の上にあきらかにこの国の者ではない男が打ち上げられている。そばに行くとまだ呼吸がある。ヒノトはこの国でウナ姫ウサ姫のしたで民に彼女らの声を伝えたり軍事行政を取り仕切っているオトのところへ運んだ。漂流者は大陸の新しい知識や農業技術を伝えるのでオトは漂流者を珍重した。その漂流者は三日目を過ぎるころから元気になりだした。身振り手振りで話してみると土木技術者で低いところから高いところに水をくみあげる新しい技術を持っていた。オトは早速その水を汲む機械をその漂流者に作るように命令した。そしてその男は器用にその機械を使った。オトは二人の女王に謁見させようとしたが姉のウナ姫のほうは会おうとしなかった。好奇心の強い妹のウサ姫のほうはそういうことには積極的だった。ウサ姫はこの漂流者が気に入って家族をもつように勧めて一人の女を紹介した。オトはその様子を見て満足した。双子と言ってもその性格は微妙に違っていた。そしてオトは妹のウサ姫のほうが好きだった。できればウナ姫がいなくなってウサ姫一人が神の託宣を伝えるようになれば自分にとって、もっと都合がいいと思っていた。しかしウナ姫もウサ姫もそんなオトの魂胆を気にかけてはいなかった。ウサ姫は好意からこの漂流者に家庭を持つことをすすめたのだがそれが間違いの始まりだった。この漂流者が今でいう伝染病の保菌者だったのである。その男は伝染病の潜伏期間を過ぎて発病して死んだ。そして伝染病はこの国に広まり何人もの邑人が倒れた。ウサ姫とオトの評判は一気に下落した。
 「ウサ、あなたが悩むことはないわ。この病はきっとこの邑から立ち去るでしょう。」
この二人を別々に担ごうとする者たちはいたがこの双子の間は信頼で結ばれていた。 
「私達は神の声を聞いて嵐や大雨、地震、火山の噴火までわかるのに何故、人の病気や怪我を直せないのでしょう。」
「本当に、」
ウナ姫がそう言う心には真実の響きがあった。何故ならこの伝染病は人間だけではなく動物にもうつるのだった。そのためウナ姫の飼っている子鹿も元気がなくなっていて、ここ二、三日餌も食べようとしなかった。そしてときどき悲しそうな声でなく子鹿の声が今夜は聞こえないのだ。
「お姉さん、子鹿の声が聞こえないけどどうしたのかしら。」
「そう言えば子鹿の鳴き声がしないわね。」
ウナ姫は高殿から下に降りて行った。普段は一人で勝手に下に降りることなど禁じられているのだ。しかし今のウナ姫にはそれどころではなかった。自分の可愛がっている子鹿の鳴き声がしないのだ。ウナ姫が下に降りていくと藪のなかで彼女が飼っている子鹿の弱々しい眼が闇夜に光っている。そして子鹿はよろよろと歩きだした。ウサ姫が追いすがる手を振り払うようにして子鹿は歩き出した。ウナ姫は自分の飼っている子鹿のあとを追って暗い森のなかに入って行った。いつもなら闇夜のなかで動物のあとなど追っていけるものではないのだが子鹿も病気でよろよろしてやっとの思いで歩いているのでそのあとを追うこともできる。二、三時間歩いただろうか。そこまで歩いて来てウナ姫はそこが忌む場所だということに気が付いた。そこに行くと身が汚れ邑に不吉なことが生じるという言い伝えが生きていた。だから邑の者でここに来たことのあるものはいない。しかしウナ姫の未開人の恐怖をうち越える光景がそこにはあった。うっすらとした湯煙のなか月明かりを背景として子鹿が月光の中に暗く浮かび上がる姿があった。子鹿は岩場の上に立つと鳴き声をたてることもなくその姿はゆるゆると消えていった。ウナ姫は何故その子鹿が消えたかわからなかったがその場所に近づいていくとそのわけが分かった。子鹿が月光の中に立っていた大岩の向こうは斜面になっているのだ。その斜面の向こうに子鹿の姿はあった。湯気の中から子鹿は首だけだしてウナ姫の方を見つめた。そして首をお湯のなかに入れてそれを飲んでいた。そこは動物だけが知っている温泉だった。温泉の表面には緑色のお湯がたたえられていて夜でも沸き立つ湯気が見える。人間は知らなくても動物はここに来て病を治していたのである。ウナ姫は躊躇することはなく首や手首に巻かれためのうや水晶でできたくが玉をはずすとそれを岩の上においた。それから衣服をするりと脱ぐと何も身にまとわない生まれたままの姿になって岩場の上に立った。子鹿のときのように白い裸身が月の光に照らされて輝いていた。彼女は何も知らなかったがその様子を無言で見ている人影があった。そして漂流者が運んできた伝染病はウナ姫が見つけてきた温泉を飲ませることでなくなった。ウナ姫への民の信仰はいやがうえにも高まっていった。
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くりくり拳